正法寺のはじまり
正法寺は1191年(鎌倉・建久2年)に、鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国(たかだくろうどただくに)により、天台宗の寺として開かれました(室町時代に浄土宗に改宗)。忠国の次男・高田願阿円誓(がんあえんせい)が第1世(初代住職)となり、姓を「清水」の地名にちなんで「高田」から「志水」と改め、本寺は志水家の菩提寺となりました。
後奈良天皇勅願寺として発展
正法寺の最初の隆盛を築いたのは、室町時代に住職となった第11世の伝誉上人(でんよしょうにん)です。伝誉上人は後奈良天皇の帰依(きえ:神仏や僧を信じてすがること)を受け、本寺は1546年(天文15年)に勅願寺(ちょくがんじ:天皇の命で国や皇室の安泰を祈願する寺のこと)に命じられました。
お亀の方と正法寺
さらに志水家の娘・お亀の方(1576年~1642年)が、伏見城に住んでいた徳川家康公の目に留まり側室にあがり、家康公の第9子、後の尾張徳川家初代・義直公(1600年~1650年)を生むと、正法寺の繁栄はますます確かなものとなりました。1616年に家康公が亡くなると、お亀の方は髪をおろして「相応院(そうおういん)」となり、義直とともに名古屋に移りました。しかしその後も正法寺は尾張藩の厚い庇護を受けつづけ、1629年(寛永6年)頃には相応院の寄進によって、現在にも残る本堂・唐門・大方丈が建立されました。正法寺は、相応院によって建立されたこれら3つの建物に、小方丈・書院・鐘楼・庫裏を合わせた「七堂伽藍(しちどうがらん)」からなっています。